なぜ人はイカサマをするのか
本来あまり触れるべき話題ではない、というかあってはいけない話題ではあるのですが、今起きたことというより今まで起きたこと、そして今後の未来の為にもそれとなく整理して置いておこうと思います。
そもそもイカサマってなに?
Wikipediaから引用させていただくと、以下のようなものを指すそうです。
イカサマ、いかさまとは、さもその様に見える、いかにも本物らしいといった意味で、まがい物あるいは偽物と言うことを指し、古くは手品と同義語で「カラクリ、仕掛けや小細工」という意味もありこれらを売ったり、行う者を「いかさま師」という。
あたかも「これは本物ですぜダンナ」とそれっぽい物を見せつつ、実は贋作であった、といったようなコスいことが元になっているようで、物を見せかける行為が転じて不正行為という大枠の意味に変わっていったようですね。
アナログゲームにおいては不利を有利にする、もしくは今より大幅に有利になる為に手札やサイコロに細工をする、といったようなことを指します。
デジタルゲームなどでも参加条件やマッチングを操作したり、データそのものを改ざんしたりといったように、ルールの数だけイカサマが存在するといっても過言ではないでしょう。
これが人間的に良いか悪いか、という議論をする前に、まずこの「イカサマ」という行為はほぼ必ずといっていいほどルールに則っていない時点でゲームとして成立させなくする、破綻をもたらす手段ということを覚えておきましょう。
ちなみにカステラを切り分ける際に「等分するね♪」などといって自分のところだけ7%程多く切るのも立派なイカサマです。ホントやめていただきたい。
なぜイカサマをするのか
理由はたったひとつ、シンプルな答えです。
「相手を出し抜きたいから」
たったこれだけ。
もう少し細かく言うと、
「何かが欲しくて勝ちたいから」
「それを手っ取り早く行いたいから」
この二点です。
この「何か」とは賞品であったり、賞金であったり、名誉であったり、名声であったりと様々ありますが、共通して言えるのは、それらが人を誤った道に引きずり込む程の狂おしき魅力を持っていることです。
その「何か」とは本来、ゲーム(スポーツなども含む「試合」を指します)をして、自分が相手より優れてさえいれば、おそらく勝利することができ、そして得ることができます。
もちろん不確定要素を含むゲームであれば環境や運なども勝敗に絡むでしょう。それらすべてを支配して掌握した者のみが、勝利を掴み「何か」を得ることができるのです。
もし楽をして「何かを得る」近道ができたとしたら?
そう、それは本来「努力」「練習」のような勝利への確率を増やす地力向上のことを指すのですが、その「努力」などのプロセスをすっ飛ばして近道直通できるのが「イカサマ」なのです。
イカサマをすると、以下のいいことがあります。
- 努力しなくていい(時間短縮)
- 勝利できる確率が異常なまでに増える(勝率超アップ)
- バレなければ何度でもできる(再現により勝率更に超アップ)
すっげー! やらない理由がないー!
でも同時に、以下の悪いことがついてまわります。
- ルール違反なのでバレると負ける(勝率ゼロ)
- 信頼を失う(コミュニティ崩壊)
- 場合によっては二度と遊べなくなる(参加機会損失により、実質勝率ゼロ)
うっわ、デバフ多すぎ…
当たり前のことを並べただけですが、読んできた皆さまにはおわかりのように、イカサマとは「バレる」ことがない限り「最強」なのです。
めちゃめちゃ過剰な例を出すと、サッカーの試合でイカサマビームを相手チームにかけることで、開始直後から相手チーム全員が自殺点決め続けてくれるようなものです。
すごくないですか? 走り込みもシュートやパスの練習しなくても点が入るんですよ?
1286対0とかになるわけですよ。まぁ興行としては大失敗ですけど。
でも、バレなかったら勝ち続けられるわけです。
バレなかったら、
勝てる・気持ちいい・何かもらえる(かも)
これが簡単にできるのです。
だから、人はイカサマをするのです。
イカサマは何故してはいけないのか
これもシンプルな答えで、
「ゲームがゲームじゃなくなるから」です。
ゲームとは、ルールがあって成り立つものです。
サッカーであれば足でボールを蹴ってバカでっけえゴールに入れれば点が入り、その点が多いほうが勝ちであって、手を使ったらそれはサッカーではなくなります。
なんで足でボール蹴らなきゃいけねえんだ、と言われれば、「そういう遊びだって決めたから」です。
例えば僕がやっているポケモンカードゲームでは、60枚のデッキで初めに7枚引いて対戦を始めます。これが62枚のデッキで最初に8枚引かれたら、もうお互いフェアでもなんでもなくなるわけです。
ルールとは、制約です。
何かしらの不自由をつけて、その世界の中で勝敗を決めるものなのです。
その不自由さを楽しめない者には、ゲームを遊ぶ資格はないのです。
大前提を蹴るのであれば、そういう遊び方をすれば良い。
手で持って走って入れるゲームをすれば良い。
ただ足で蹴る世界には入ってこないでいただきたい。
そういうことなのです。
故に、「ルールを守れない人はゲームをする資格がない」ので、
「イカサマをしてはいけない」のです。
あ、一人でやってるぶんにはいいんじゃない?
誰にも迷惑かかってないですしね。ちょっと寂しいけど。
イカサマをしてしまった人はどうしたものか
実際イカサマをしてしまった人がいたとして、
周りはどうすれば良いのでしょうか。
- それはもうすごい勢いで弾圧する。悪なのだから
- 次しないように手とり足取りお姉さんが教えてあげる
- 自分に影響なければ関係ないでござる。ほっとく
どれもある意味正解ですし、不正解とも言えます。
というのも、その行った人が自分にとってどういう相手か、またその人自身がこの先どこに行きたいかによって変わるものでしょう。
可能性の話をします。
1を選択した場合は正義の名のもとにひっくり返せない正論でぶっ叩いて成敗、追放、世界に平和は訪れたとなるでしょう。それはこの世界においては平和となりますが、追いやられた異なる世界では再犯をする可能性もありますし、もしくは叩かれた人の精神そのものに取り返せない程のダメージを与えてしまい、立ち直れる機会すら無くなってしまうかもしれません。
2を選択した場合、とても正しい方向に導いていると思いますが、これが本人の望む姿なのであれば正解であり、そうでなければお互い不幸になります。お姉さんがついてくれるのは個人的には素敵なのですが、彼女の好意がイカサマをした人を根本から変えてあげられるかはケース・バイ・ケースでしょう。相手が本職のイカサマーだったら、LOSE-LOSEの関係になります。
3を選択すれば良くも悪くも現状維持です。再会したら同じことになりますし、自分以外の人が被害にあうかもしれませんが、自分は平和です。これも、またひとつのあり方でしょう。
ここで大切なのは、
「お互いを尊重しているかどうか」
だと僕は思います。
もしとある人が仮に出来心で手を悪に染めてしまったとします。
それが大切な友人であれば叱り、直してあげ、再び楽しく接していたいと誰もが思うのでしょう。そのとき、相手も同じ尊重レベルを持っていたとすれば、相手は友人と接する為に過去の過ちを恥じ、是正する可能性が高いはずです。
本当にそのゲームを好きで、友人もしくは友人になるであろう人たちと遊びたいのであれば、その世界を壊したくはないはずです。
その世界を保つ為には、イカサマという手段を除いた方法でルールを守って遊ぶ必要があります。つまりイカサマをしたら損なのです。
イカサマは、しない方がいい。
最終的に損得、のような話になってしまって申し訳ないのですが、
理屈上イカサマすると
- ルール違反なのでバレると負ける(勝率ゼロ)
- 信頼を失う(コミュニティ崩壊)
- 場合によっては二度と遊べなくなる(参加機会損失により、実質勝率ゼロ)
なので損です。
一時的には快楽や賞品を得ることができるかもしれませんが、
長い人生において総合的にいいことはあまりありません。
楽しく遊ぶ為にはイカサマはしないほうが絶対にいいし、
仮に一度してしまっても
ちゃんと素直にごめんなさいして
少しずつ信頼を取り戻せばだいじょうぶ。
ちゃんと謝って、受け入れてくれるコミュニティを探しましょう。
すべては、みんなが楽しく遊ぶために。
ルールを守って、正々堂々と戦いましょう。
さあ、お互い握手を……
え? 手汗がイヤ?
汗の量が不正?